私と中国「窯洞/ヤオドンでの一日体験」
2022年11月4日
外灘の少年
2022年11月4日
朋友
作者:岡里美

 まだ21歳の私だが、これまでの人生を振り返ると、中国と非常に関りが深かったように思える。母が中国の出身ということで、幼い頃から夏休みには中国の実家へと帰省していた。その度に祖父母や叔母、そして近所の人から、「かわいい、かわいい。」と大変良くしてもらった記憶は未だに薄れない。とはいっても楽しい思い出だけあったのではなく、悩ましい思い出があったことも事実である。それは中国の家族と意思疎通をとれなかったということだ。日本で育った私は中国語を話せず、満足に自分の気持ちを伝えることが出来なかった。そんな私だったからこそ、時々、皆の前で覚えた中国語を話したり、中国語できらきら星なんかを歌ったりすれば非常に喜ばれた。ただ、やはり会話が出来ないことは、自分に良くしてくれる家族に少し申し訳ないという気持ちを抱くきっかけとなった。思い返せば、この経験こそが私を、中国語を学ぶという道に導いたきっかけだったのだと思う。

 現在、語学を学べる大学で、三年間ほど中国語の勉強をしている。この三年間を通して思うのが、この道を選んで本当によかったということだ。大学一年生、期待と不安を胸に大学に入学した私は、一瞬にして中国語の魅力にとりつかれた。美しい言葉の響き、含蓄のある言葉の数々、くすりと笑わせるようなことわざなど挙げればきりがないが、私は中国語に“はまった”のである。そして一年が過ぎ、中国語の基礎が固まった頃、私は人生を共にするであろう趣味に出会った。中国の小説である。元々、中国の文化が好きで、高校生の頃から中国の音楽はよく聞いていた。それは、音楽の性質上、歌詞の中国語が分からなくても、リズムや雰囲気で好きだと認識できたからだ。しかし、小説となると話が変わる。中国語で書かれた小説はある程度中国語の能力がなければ読めないからだ。中国語を一年学んだ私は、ここから更に中国語の能力を伸ばそうと、興味本位でネット小説を読み始めた。するとどうだろう、私の好みに中国の小説はぴったりはまったのである。特に中華ファンタジーなるものは、中国独特の文化が体現されており、見れば見るほど奥深いということもあり、日夜を問わず読みふけることになった。一日13時間読む日もあり、気づけば二年間で二億字ほど読んでしまっていた。ここまで読めば、中国語も上達するというもので、難しい言い回しや語彙もいつの間にかマスターしていた。言い過ぎかもしれないが、この中国のネット小説との出会いは、運命の出会いであったと思っている

 このように実に楽しい中国語生活を送っていた私だが、当然、中国との関りはこれだけではない。私が最も楽しみ、そして苦労したもの…そう、留学である。私は中学生の頃から中国の大学へ留学に行くことを夢見ており、大学二年生時に留学に行こうと計画も練っていた。しかしここでアクシデントが起きる。コロナウイルスの流行が留学への道を閉ざしてしまった。だからといって留学を諦めた訳ではなく、オンライン留学という形で、日本から留学することとなった。当初は、やるせない思いであったが、いざオンライン留学が始まると、その気持ちは晴れやかなものとなり、中国語の学習に打ち込んだ。オンライン留学と言っても、共に勉強する仲間は世界中から集まっており、多くの友人が出来た。尊敬できる彼らと共に勉強することで、現状に甘んじることなく、上を目指すことが出来た。オンライン留学は順調に進んでいたが、途中壁にぶつかることもあった。例えば、文章を書くのが苦手で、先生から「全然できていない。」と厳しいお言葉を貰い、悔しさで涙を流したことがあった。しかし、そんな私を笑顔に変えたのも、中国語だった。悔しさをばねに文章を書き続け、留学の最後には、最も成長した生徒だと言われるまでに至った。その瞬間、すべての努力が報われたような、やりきったような気持ちになった。この留学で私は多くのものを得た。友人や努力する大切さ…言葉にしてみると陳腐な言い方しかできないが、心の中には確かに存在している。この経験は今後に生きることだろう。留学中に出会った人、出来事、そのすべてに感謝している。

 今まで、話してきたように、私は幼少期の経験がもとで、大学で中国語を勉強するに至った。人生にはいろんな道があるだろうが、私はこの道を選んだことを最善の選択だったと考えている。なぜなら、中国語というかけがえのない存在と出会うことができたのだから。そして今、大学四年生になり、就職活動をしている。よく聞かれる質問が、「大学生活はどうでしたか。」という質問だ。そんな時私は決まってこう答えるのだ。「中国語というかけがえのない友人に出会った。」のだと