大きな魚事件
2022年11月5日
私と中国
2022年11月5日
私と中国
作者:古川繁美

 世界がコロナ禍の拡大に脅威を感じる中、中国は国家の威信をかけゼロコロナ策を打ち出した。そして北京「冬季オリンピック大会」を見事大成功に開催し、歴史に残る感動の大会となった。

 だがオリンピックの感動と余韻を打ち砕くかのように、国際社会を震撼させる出来事が起きた。ロシアによるウクライナへの武力侵攻である。日毎に戦禍に追われ、国外避難を余儀なくされた国民は、報道ではゆうに500万人を超えるという。

 いつの世にあっても戦争の犠牲となるのは、決まって女性や子供・老人たち弱い立場の人々だ。国土は破壊され焦土と化し、罪なき人々が尊い命を失う。祖国のためとして、将来を託された多くの若者たちが命を失っている。こんな理不尽で残酷なことがあるだろうか。「報復と憎悪」の連鎖が、また新たな悲惨な歴史を綴るだけではないか。

 1972年9月29日、日本と中国との国交正常化が正式調印され50周年を迎える。両国にとってこの節目を、今後どう発展させるかが重要な課題だ。日中間にはまだまだ複雑な要素が絡み合っている。だがこの50年で培ってきた信頼と友好の絆を、将来に亘り決して壊してはならないと思う。

 昨年度、中国の実情をより理解するためにと、中国駐大阪総領事館が主催する「中国を理解する」セミナーがオンラインで開催された。マスコミや市民レベルにも関心の高い、時事的な様々な話題がシリーズで展開された。

 中国共産党は昨年、創立100周年の節目を刻み、社会主義国として力強い復興の道を主導してきた。「一帯一路」に見る対外政策の展開や、国内にあっては農業改革、産業の振興、科学技術の開発など、どれも目を見張るものがあった。

 しかしながら、一方で軍事面における急速な拡大は、国際社会の目には脅威を感じさせる懸念材料と映らないだろうか。中国は透明性ある情報発信に努め、共感の対話を心がけていってほしいと願うばかりだ。

 アンコンシャス・バイアス(unconscious bias)という言葉がある。「無意識の偏見」と訳せるが、私たちは風聞や、自分の知り得た知識・情報によって、物事を真実であるかのように歪めて評価していないだろうか。まさに思い込みというフィルターは、真実を曇らせかねない危険性を孕んでいる。垣根の外からは、真実は何も見えてこない。

 ともかくこのセミナーシリーズへの参加は、私にとって中国の「今と未来」を理解しゆく、大変貴重な機会となったと感謝している。

 私の最も尊敬する人物に池田大作先生がおられる。2007年4月、訪日中だった中国・温家宝総理と池田先生が会談された折、友誼の証として漢詩を贈った。その末尾には「同一世界同一夢 和諧社會喜春暉」と認めてあり、今後のさらなる日中友好の発展と、温家宝総理の益々のご健闘が称えられた。

 振り返れば、1968年9月8日、池田大作先生は一日も早く日中国交を正常化すべきであると提言されました。この発言は世論の逆風が吹き荒れる中でのことでした。しかし池田先生の揺るがぬ信念と行動は、今日の日中国交回復の確たる礎となったと確信します。この日は私が20歳を迎えた誕生日であり、生涯忘れ得ぬ記憶として脳裏に焼きついています。

 今私には「もっと中国の友人を作りたい」、そのためにはまず「中国語を学ぶことだ」と、そのような気持ちが芽生えてきています。少し無謀に思えるが、手始めにと今年4月から始まったNHKのラジオとテレビ講座から学習をスタートさせている。慣れない中国語の発音や文法に手を焼きつつ、覚えの悪さに自分でも呆れる。だが幸にも、神戸に住む中国人のある友人が、嬉しいことに学習の手助けをかってくれた。

 語学を学ぶことは脳の活性化につながり、困難の壁の向こうには「新たな中国の友」が待っている、と思えば自分を励ますことができよう。「初志貫徹」と言われる通り、好奇心をかき立て、少なくとも一年間は挫折せず頑張りたい。そしてできるだけ早い機会に中国を訪問し、自分の五感を駆使し、広い中国をより多く実感できればと願っている。

 21世期に入って尚、人類の歩みを阻むかのように対立の壁が存在する。その中にあって中国と日本は海を隔てながらも、歴史的に古くから交流があった。日本に異国の文化と多くの恩恵をもたらしてくれた恩人の国と言えまいか。恩師から「恩を感じ、恩を報ずることは、まさしく人間としての正道である」と教えられた。

 だからこそ「一衣帯水の国」と呼ばれる中国と日本は、その深い絆によって共に、アジア地域の繁栄と発展、また平和と安定に資すべき使命とを共有していると考えたい。一個人の私にできることはたかが知れている。しかし「黄河の流れもヒマラヤの一滴から」と言われる。日中友好の一助にと祈りつつ、私は中国語で対話できるその日を夢見、頑張ろうと決意している。