私と中国
2022年11月5日
私と中国〜四平を中心に〜
2022年11月5日
私と中国
作者:福富健夫

 何をおいてもまず始めに、日中国交回復50周年おめでとうございます。お祝い申し上げます。1972年9月25日テレビで見た、両国指導者の握手と北京の街を走る大量の自転車群が、非常に印象に残っています。

 周恩来総理が日本留学時に、下宿されていた近所の方々もテレビに出てきて、若き日の周総理の逸話と人柄を語り、中国が近く親しみを感じさせました。一次情報でもあり圧倒的な説得力がありました。小学6年生の私も、新時代が来たという高揚感があり、翌日からNHKのラジオ中国語講座を聴き始めました。父親も喜んでくれて励ましてくれたのですが、当然ながら藤堂明保先生の文法解説が全くわからず、残念ながら1ヶ月で断念してしまいました。ただいつか再チャレンジしようと思いました(そのまま忘れてしまい大学でも履修し無かったのは残念です)。

 時は過ぎ50歳を超えました。2013年4月大阪駅前第3ビルの大阪産業大学孔子学院に入校しました。もっと早く知っていれば良かったと痛感しています。通学に便利で、受講料が良心的で、何よりも先生の質が大変高いのには驚かされます。 特に努力することも無く、楽しく学べ、お陰様で5年前にHSK5級の合格点を得ることが出来ました。今は6級を目指していますが、苦戦しています。もっと時間をかけて真剣に語彙力をつける必要がありそうです。

 語学を学ぶことの良さは、学んでいる国の人と交流が出来ることです。つたない語学力でも、気持ちがあればなんとかなる感じです
実際、コロナ前は、近くの工場で働く中国人実習生とハイキングや京都・奈良観光のボランティアガイドをしてきましたが、これは勉強になるし、日本再発見になるし、相当に楽しかったです。今は中国からの実習生は来れなくなっていますが、早くコロナが収まり、人的交流が再開することを祈念しています。

 大阪でもっとも中国を感じる場所は、新中華街構想のあった新今宮駅界隈でしょう。中国語の実地学習のため、カラオケ居酒屋にはコロナ前によく通いました。関西一ガラの悪い日本人たちを、軽妙な日本語で遣り込める中国女性の華麗で逞しい姿には頭が下がります。日本で唯一暴動が起こる土地に、しっかりと根を張り必要不可欠な存在となっています。

 60歳になり、役所の再任用も考えたのですが、一念発起し外の世界に挑戦することにしました。学んできた中国語を活用したいと思い、某中国企業に就職しました。日本に投資する中国企業の経営を支援する会社でしたから、税務、社会保険等の方面で今までに得た知識を生かせると思いました。8ヶ月勤務しましたが、中国語は期待に反し、一向に進歩しませんでした。同僚の中国人は優秀な人が多く、日本語に堪能であり、職場での会話はほぼ日本語でした。中国人同士での会話は中国語だったのですが全く聞き取れません。孔子学院の先生に相談すると、先生の話す標準語は分かるので、彼らは方言で話しているのではないか?と言われました(もちろん冗談です)。結論は、やはり教室で学ぶ中国語と実践の中国語はスピードが違うし、スラングもあるとのことでした。中国個人旅行は3度行き高鉄も乗りこなし、店員・駅員さんとも自在に会話し、日常会話に自信があったのですが、木っ端微塵になりました。親の介護もあり退職しましたが、とても良い経験でした。短期間で退職し申し訳なく思っています。

 今は小さな税理士事務所を細々と営んでいますが、しっかりと語学力を磨き、日本に進出する中国人老板の良き参謀になりたいと思っています。中国に進出する日本人社長にも頼られたいです。

 最後になりますが、私にとって中国語学習の最大の成果は、2019年初秋の韶山旅行です。毛沢東の生誕地での体験は一生の思い出です。「論語なんて必要ない」と父親に罵倒され、入水死を賭けて勉学の道を勝ち取ったと言われる生家近くの池は、これだろうかと想像すると楽しさは尽きませんでした。私にとっての聖地巡礼といえる旅行が出来たのも、孔子学院の湖南省出身の先生がボランティアガイドをして下さったお陰であり本当に感謝です。花を捧げ最高の敬意を払う大勢の人の中、銅像の傍でガッツポーズの日本人が写真を撮ることを許されたのは、私の喜びと感謝が溢れ出ていたからだと思っています。

 言葉を学ぶことは、その国に対する一番の敬意と思います。ただなんとなくのマスコミのイメージで好き嫌いを決めるのではなく、その国の新聞やSNSを読めれば、いい意味で、良さも悪さも理解できるため、平和と友好の大切さが痛感できると思っています。友人が出来ればなおさらです。

 日本と中国は2千年の友好関係があります。日本の蛮行による中断はありますが、奇跡的な国交回復が、日中両国の英断により50年前に樹立できました。この奇跡を噛みしめ、心に刻み、何千年も友好関係が続くことを強く強く希望します。