私と中国
2022年11月4日
私と中国「窯洞/ヤオドンでの一日体験」
2022年11月4日
私と中国

作者:奥野敦史

第一章 中国へのあこがれ

 私は1944年2月17日の寒い日に岡山県の吉備高原にある大和村東村(現在の岡山県加賀郡吉備中央町)に生まれました。山々畑に囲まれた私が生まれた家を図示します。自然に囲まれのびのび育ちました。

 私が中学1年生になってしばらくして、大和中学校の創設メンバーで教頭をしていた父から、近い内にこの大和村出身で中国との国交を進めておられる岡崎嘉平太先生が来られるので、是非お会いしましょうと言われた。

 岡崎嘉平太先生は長い間中国で銀行総裁を務められ、その中で、毛沢東国家主席、周恩来首相など多くの中国のトップレベルの方々にお会いに成られておられた。特に、周恩来首相とは特別の友人関係を築かれておられ、厚い友情の絆を結んでおられました。

 そして、1972年に田中総理が訪中し、岡崎嘉平太先生の念願の日中国交正常化の調印が行われました。

 その時、周恩来総理から、岡崎嘉平太先生に「我が国には水を飲むときには、井戸を掘った人を忘れない」という言葉を贈られ、今までの日中正常化に向けた大変な努力に労をねぎらわれた。か。

 最初の岡崎嘉平太先生の印象はとても穏やかで親しみ深いお人柄でした。私が一番興味を持ったのは「これから間違いなく中国の時代が来る。そして中国人民とは長い友情で結ばれなければならない。」と言うお言葉でした。

 このお話しが、後に、私が非常に中国に興味を持った最初であった。

第二章 初めての中国そして半導体の国際会議でのデビュー

 私の知人の清華大学の馬共生教授から、今度北京で2001年8月に開催される半導体の国際会議ICEPTで発表しないかとのお誘いを請け、初めて中国に行くことになった。念願の中国を訪れたのは岡崎嘉平太先生に教えを頂いてから45年ぶりであった。中国の発展が日に日に変るほどの速度で進んでいるのを見て大変驚いた。この時は世界からたくさんの論文が発表された。私の特殊印刷法による半導体のパッケイジングの論文がこの国際会議の中で認められ,最優秀論文に選ばれ、大変栄誉ある賞を頂いた。そして、日本の新聞でも多く発表された。

 この賞をきっかけに、上海にある中国で非常に有名な復旦大学の宗佯福主任教授から復旦大學と私共の会社と半導体パッケイジングの研究室を共同で作って欲しいとの強い依頼があり2002年に共同研究所を開設した。そして、研究所長には私が就任した。

 それから、日中の最先端半導体パッケイジングの特別講演会の開催をしたり、大学院の指導に当たった。学生は皆すなおで非常に勉強熱心で着実に実力をつけて行った。この研究所が上海で徐々に有名に成った。丁度その頃、上海人民政府が主体に成り上海半導体照明工程技術研究所が発足し、ここの中心顧問に任命された。

 丁度、この頃、中国はほとんどすべての面で急速に発展していたので、電力不足になって来ていた。上海市科学技術委員会から依頼され、この電力不足を改善する方法を希望された。そこで、私は高輝度LEDと太陽電池を結びつければ、通常の電力を一切使わずに照明できることを提案し、日本の大阪にあるコイズミ産業の梅田照幸社長と協力し、2005年に上海の中山公園に設置し、上海人民政府や中山市から大変感謝された。[ソーラー+高輝度LED]の技術を使用し、省エネルギーで明るい照明が出来る事が証明された。その後、この[ソーラー+高輝度LED照明]が世界で大きく伸びるきっかけになった

 になって来ていた。上海市科学技術委員会から依頼され、この電力不足を改善する方法を希望された。そこで、私は高輝度LEDと太陽電池を結びつければ、通常の電力を一切使わずに照明できることを提案し、日本の大阪にあるコイズミ産業の梅田照幸社長と協力し、2005年に上海の中山公園に設置し、上海人民政府や中山市から大変感謝された。[ソーラー+高輝度LED]の技術を使用し、省エネルギーで明るい照明が出来る事が証明された。その後、この[ソーラー+高輝度LED照明]が世界で大きく伸びるきっかけになった。

 2010年1月に私の知人である同済大學の蔡建国教授から同済大學で最先端材料研究室の作成を依頼され、研究所を開設し、進めることとした。

 これらが認められ、2010年5月から開催された上海万国博覧会の企画のメンバーに選ばれ、夜の万博の照明について、高輝度LED照明を強く推薦し、皆様がごらん頂いたように万博のメイン通り、パビリオン、揚子江に浮かぶ船舶などがいろどりあざやかなLED照明で飾られ、強いインパクトを与えることが出来た。

 万博委員会からも感謝され、素晴らしい盾と上海万博を記述した数十メートルの巻物を頂いた。

 この後も半導体やLED関連の国際会議、展示会、セミナーなどに招待され数多く参加し、講演させていただき多くの人々と交流させていただいた。これらの上海での活躍をバックアップしていただいた上海人民政府、科学技術員会代表の張(Zhang Ao)氏に深く感謝致しております。

 最近では、中国で65歳以上の高齢者が急増してきている。この問題を解決するには老人施設だけ作っても解決出来ない。そこで、私は子供から若い人、中年の人、そして老人が一緒に楽しく暮らせる町、すなわちYMS(Young&Middle and Senior)TOWNを提案している。ぜひ、このYMS TOWNを中国に広げて行きたいと強く希望している。

 私としてはどんなことがあっても「日中の絆は長い目で、地道に友好を築かなければならない。」と考えている。

 「安心」「信頼」「夢」をモットーに日中友好永遠なれ!