外灘の少年
2022年11月4日
私の家族と中国
2022年11月4日
私と中国
作者:操田慎哉

 私が大学生になると中国人と関わる機会が大幅に増えました。徐意凡君は大学の同級生であり、私にとって最初の中国人の友人です。彼は、上海で生まれ育ち、日本企業に就職すべく、福山大学に留学してきました。当時、私は中国語に関して全く知識も興味もなく、外国人と関わる事が全然無かったため、初めて会った際に最初はどのように接していいのだろうかと悩んでいましたが、彼から積極的に話しかけてくれてだんだんと打ち解けてきて一緒に遊ぶ機会も多くなりました。彼と接する時間を重ねていくうちに日本のメディアで流れているような中国人の悪い印象がなく、むしろ日本人よりフレンドリーでとても話しやすい印象を感じ始めました。

 彼は日本語を流暢に話すことができ、英語も話すことができます。その時、私が感じたのは中国人は努力を惜しまない人達が多いと感じました。同時に自分は中国人の方と比べて努力が足りないそして楽を優先する情けない人間だと痛感しました。それ以来、彼の事を見習って積極的に物事を学ぶ意識を持つようにしました。自分自身も語学ができるようになりたいと思い、まずは英語をできるように努力しました。わからない事があれば、徐君に質問して教えてもらい、また彼が日本語の事で分からないことがあれば私が教える事で互いを高め合いました。

 大学時代を通じて中国には今まで5回行ったことがあります。徐君の故郷が上海ということもあって、よく上海の実家に招待してくれました。私が訪れる度に彼の両親は中国語が全くできない私を歓迎してご馳走をしてくれたり、近隣の有名スポットに連れて案内してくれる非常に温かい人達でした。その経験から中国文化にもっと興味関心を持つようになりました。

 実際に中国語を始めたのでは社会人になってから2年目からである。大学時代の教授が孔子学院の中国語講座を受講していたため、君も勉強してみないかと誘われたのがきっかけだ。当初はあまりやる気が無く英語とヨーロッパ言語等が出来れば十分だと思っていました。中国人の多くは日本語も流暢に話し、また英語も話すことができる人が多くいた印象があったため、わざわざ自分が勉強してできる必要はないと考えていました。また、中国語が使用できる国の数は他の言語と比べ、圧倒的に少ないのも理由の一つでもありました。しかし、現在勤めている会社のグループにはアメリカをはじめ、中国にも拠点があり私はたまたま中国の担当者であった事、そして大学を卒業した今でも徐君と接する事が多かったので少しだけでも出来たら便利だろうと思い、安易な気持ちで受講してみたのが経緯でした。日本人だから漢字も日頃使うので中国語は簡単だろうと思っていましたが、いざ勉強し始めてみると中国語の難しさに直面しました。日本語と文法は異なり、発音がものすごく複雑で覚えるのが非常に大変でしたが、段々勉強していく内に中国語の学ぶ楽しさを覚えてきました。

 ある程度中国語ができるようになると徐君に電話して中国語で話してみました。すると、彼は驚いた様子で中国語できるようになったのって喜んでくれました。語学を学ぶ上での喜びを感じることが出来ました。また、話をしている内に徐君から教科書の勉強では学べないような言葉を教えてくれたりして中国語がさらに面白く感じました。この電話以降、なぜ自分はもっと早くから中国語を学ばなかったのか非常に後悔しました。大学時代に中国語が出来れば、もっと色んな中国の方と接する機会が増え、中国のいろんな地域に一人旅ができたのだろうと思い返すばかりです。

 現在の日中関係には、地政学上の問題を深め、様々な課題があります。しかし、日本人と中国人は、私と徐君のような、互いに理解しあえ、切磋琢磨できる関係だと思えるのです。歴史を振り返ると、日本人は中国人から文化を学び、中国人が苦しんでいる時には支援してきました。日中関係の助け合いはこれからも先も必要です。私自身も会社の業務等を通じてそれに貢献していき、将来は中国勤務が出来る様に頑張っていきます。