50年前、周恩来首相と我が香川県出身の大平外相等の尽力で、幾多の困難を乗り越えて中日国交正常化を果たしました。これを機に、元脇高松市長が南昌市との交流の礎を築き、今日に至る永き友好の歴史を繋いできました。そのお陰で私も10年前退職直後の62歳で、日本語教師として南昌市に3ヶ月赴任し、クラスの子供達以外にも大勢の中国の方や在中日本人とも話す機会を得ることが出来、素晴らしい有意義な時間を過ごすことができました。
そして、日本に帰国後「中国について何か話してください」という地元からの要望で「中国の今」について講演したところ、多くの方々からテレビで見る中国とは違っており思っていた中国と随分印象が変わって興味深かったとの反応がありました。生の中国の姿を少しでも日本の皆様にお伝えすることができ、本当に良かったです。
さて、私が中国に関心を持ったきっかけは、高校三年生の時に読んだ井上靖「西域物語」の新聞記事の連載で、中国へのロマンが掻き立てられました。その3年後に成った中日国交正常化の後、残留孤児の親探しが毎日新聞に写真入りで掲載され、その写真を見る度、日本が加害者の立場であることは十分承知していますが、このような悲劇がもたらされたことについて本当に惨いことだと涙が出てきたものでした。一方、中国での日本人孤児が生き残れたのは中国の人々に助けられたおかげです。日本軍の中国人への残虐さを顧みて、中国人への償いの気持ちを持って中日の架け橋となりたいと強く願ったものでした。
そうした長い間の願いが叶って南昌での生活が始まり、まず初めての授業内容は中国の禹王についてでした。来中時の7月に日本の高松で「禹王サミット」が開催される事を知り、まずこの事を南昌の子供達に最初の授業で伝えたかったのです。治水の神様禹王の碑が日本各地の河川にあり、高松でも今は栗林公園に移築され残されています。私が禹王のことを話すと、子供達は「なぜ先生は禹王のことを知っているの?」と聞き、日本各地に中国の禹王の碑があることに驚いていました。又、4千年前の中国の偉人の事を日本から来た人が熱い思いを持って話しているということにも子供達は驚いたのでしょう。子供達の話から、日本人の聖徳太子に抱く思いと中国人の禹王に対する思いは同じような気がしました。遠い昔から、中日の文化・意識交流は深く歴史に刻まれている事を中国の生徒にまず一番に知ってもらいたかったのです。
3ヶ月という短い期間ではありましたが、この滞在で知り得た事がたくさんありました。
第一に、中国の若者に日本対する興味がこれほどあることに驚きと共に嬉しく感じました。特に日本文化に興味を持っている若者が多い事に感激したのは、滞在中、中国のある大学と会館でお茶会を実施した時でした。「お茶を点ててみたい人はどうぞ」と言ったら、なんと男子学生も多く参加し、日本ではありえない状況だと感じました。又、南昌の生徒達は日本の情報をいち早くキャッチしていました。ちょうど日本で封切られたばかりの「風立ちぬ」という映画のこともよく知っていたし、東京オリンピック開催が決まった翌朝、子供達から「先生、おめでとう」と言われました。日本文化に対する憧れ、興味が高いことは意外でしたが嬉しく感じました。
第二に、敬老・レディーファーストの文化には驚嘆しました。タクシーを拾っている若い人より先に強引に乗り込む老人がいても文句一つも言わない若者に驚きを隠せませんでした。又、バスに乗っている時、立っている62歳の私をいつもどうぞと座らせてくれた現地の人々に深く感心しました。日本国内でもほとんど見ないレディーファーストは西洋の文化だと思っていたので、まさか中国でこんな丁寧な扱いをされることは予想していませんでした。
第三に、中国国家として教育に力を注いでいる事がよく理解できました。20年前に北京での本屋さんで中国の小中学校の教科書を見てレベルの高さに驚き、これは日本はすぐに追い抜かれると思った事が今の子供達の姿に反映され、中国の教育政策が順調に進んでいると思われました。向上心を持った前向き思考の若者の姿に、中国の未来に大きな展望を感じました。
南昌滞在で学んだことの最後は、先の大戦の記憶が中国ではちゃんと引き継がれているという事です。大学でのお茶会開催に伴って実行員会が作られ実行委員2名の大学生と打ち合わせをした折、先の戦争の話になり、老人の私と20歳の若者の3人が涙を流しながら戦争について話しました。今でもあの時の光景は脳裏から離れられません。帰国後香川県の大学生と戦争について話す機会がありましたが、日本の大学生は戦争を他人事としてしか捉えられておらず、有意義な会話はできませんでした。日本では戦争の記憶が薄らいできているという事を身に染みた瞬間でした。
以上が10年前の南昌市滞在の思い出ですが、もう一つ大きな思い出があります。それは20年前のことになります。
末娘が大学進学した折、子供達の初めての海外旅行は中国と決め、子供二人と私の3人での中国旅行が実現しました。上海・西安・北京の3都市を巡る旅で、各地でガイドがつくというツアーでした。上海では新旧の街に圧倒され、西安では兵馬俑というとてつもなく大規模な遺跡に感激しました。最後の北京では、街の本屋に入ったら親子がいっぱい寿司詰め状態で本を手に取り読んでいる姿にびっくりしました。この時、中国の小中学校の教科書を見てそのレベルの高さに驚きました。近い内に日本と逆転すると思っていたら、それが今現実になっています。また、旅行先のあちらこちらで親が子供にいっぱい教えてあげる姿が見られ、こんなに教育熱心なんだと感心したものでした。
そして、この旅の収穫の一番は北京でのガイドさんとの出会いでした。彼女は女子大学生で、一緒に旅行した長女と同じ年齢でした。その女学生のガイドが、娘の首に黒あざがあるのを見て、「あなたたちバイオリンしているのね。私もバイオリンを弾くのよ。我が家に来て一緒にバイオリンを弾きませんか」と招待を受けたのでした。娘二人は幼少からピアノとバイオリンを習っており、当時長女は東京大学のオーケストラでバイオリンを弾いており、次女は東京藝術大学に入学したばかりでした。中国人ガイドの彼女も幼少時からバイオリンを習っているとのこと。ご自宅に招待され、彼女のバイオリンで3人が其々演奏しました。日本では西洋の作曲者の曲ばかりを練習するのに対して、中国では中国の曲が練習曲の一部になっているのには驚きました。子供達3人が言葉は片言でもバイオリンを仲良く楽しく弾いている姿は今も脳裏に焼きついています。
また、昼食は机いっぱいに並んだお父さん、お母さんの手料理のご馳走の数々。一番美味しかったのは水餃子。それまで焼き餃子しか食べたことがなかったので、もちもちとした皮の美味しさに感激。あれから懐かしく時々水餃子を口にしています。1日一緒に過ごしただけなのに、ご家族の皆様との別れの時、なぜか涙が出ました。将来に夢を持って歩んでいるしっかり者の娘さん、そして一人娘を誇りに思い慎ましい生活の中で優しく見守っているご両親。素敵なご家庭でした。当時東京藝術大学生だった次女は、現在群馬交響楽団バイオリン奏者として音楽の道を歩んでいます。北京の彼女に是非演奏する姿を見ていただけたらと願っています。
その後10年前に南昌市に訪問した折、まだクラシック音楽は中国では浸透していないようでしたが、あれから10年経ち、全方位に驚異的に発展している中国、クラシック音楽においても中日の交流が活発になればどんなに素晴らしいことか!期待しています。
今も中国と聞けば、中国で大変お世話になった数多くの南昌市の方々や、北京でおご馳走になったご家族を思い出します。私達中国人と日本人はお互い蒙古斑もあり、お箸や漢字を使うなど類似点が多い民族です。地理的にも文化的にも非常に近い国で、仏教伝来から永きに互って交流しながら歴史を築き上げてきたのです。
何事も現場を知る事は一番大切なことです。多くの日本人が生の中国に触れて、本当の中国を知って欲しい。そして、語学、音楽等幅広く文化交流を活発にしていき、小さな草の根の繋がりをたくさん作って、今までのご縁・絆をこれからも途切れる事なく大切に繋げていけるよう切に願っています。